インタビュアー くりもと きょうこ
総合出版社で編集者として14年間、青年誌・女性誌・男性週刊誌・児童書と脈絡のないキャリアを経たのち、信州に移住して雑食系フリーランス編集者・ライターに。こんなに楽しいならさっさと会社員を辞めればよかったと思う移住5年目。東信エリアの某村に暮らす。
「課題を出して、ぶっちゃけどうでした? タテシナソン課題提供事業者に聞いたホンネのところ」で、3名の課題提供事業者にお話を聞いたライター・くりもときょうこです。
想像以上に面白くて深い話がザクザク出てきて、すっかり「タテシナソン」のとりこになったくりもと。今回、再度立科町に召喚され、タテシナソンにまた別の角度から切り込むインタビューを仰せつかった次第です。
■前回までのお話はこちら
そもそも「タテシナソン」とは何かというところから、簡単に振り返りましょう。
「アイデア」や「ハック(テクニック、小技の意味)」と「マラソン」を掛け合わせた造語「アイデアソン」「ハッカソン」が近年流行し、社会の課題を解決するためにみんなでアイデアを出し合う共創型イベントとして盛り上がりをみせています。
それを立科町流にカスタマイズしたイベントが「タテシナソン」というわけです。2017年度から、年1回開催されています。
さまざまな立場の「人」を通して、「タテシナソンとは一体どんなイベントなのか?」を明らかにするインタビュー記事の第2弾は、参加学生を迎えてから送り出すまでの28時間、立科町の右も左も分からない学生たちをアテンドする「ガイド」を務めた町民の方々にお話を聞きました。
送迎や食事など、学生たちの滞在中の“生活”をサポートするのがガイド。
学生たちの素の姿をいちばん近くで見ている、参加学生にとってファミリーのような存在です。 ガイドから見たタテシナソンと学生たちは、果たしてどんな姿だったのでしょうか?
CASE1.國澤慎治さん
タテシナソンでは、5人で構成される1グループにひとりのガイドがつきます。もちろん、ガイドは地元をよく知る住民の方ばかり。最初は、今まで3回開催されているタテシナソンで毎回ガイドを務めた國澤慎治さんにお話を聞きました。
中山道芦田宿の宿 たてしな あかりや 國澤慎治さん
國澤さんは兵庫県西宮市出身の40代。空気のおいしい高原が好きな國澤さんは、以前から毎年のように家族と立科町に遊びに来ていました。好きが高じて移住し、今は一棟貸しのゲストハウスを経営されています。
くりもと:國澤さんは1回目から関わられています。最初にタテシナソンのことを聞いた時は、どう感じましたか?
國澤:今思うと、当時はこんな大きなイベントになるとは思っていませんでした。自治体が新しく立ち上げたイベントにありがちですが、このイベントも年々下火になるのではないか……と、心配する気持ちもありました。でも、実際に関わってスタッフの並々ならぬ意気込みに接して、「あれ? こんなにガチなん?」と驚きました。
くりもと:ガイドの方は、事前の準備ふくめてどのように関わるか教えてください。
國澤:事前準備は、心構えと段取りを確認するレクチャーだけでした。とにかく見守り役・サポート役に徹して、こちらから学生たちを誘導するような働きかけは極力しないでほしいと伝えられていました。ガイドは各グループにひとりで、足としてレンタカーを1台与えられます。
当日は、まず学生たちを駅まで迎えに行くところからはじまります。その後は宿、会場、食事処、学生が希望する場所などに随時連れて行きます。ただ、学生たちは立科町について予備知識がないので、こちらで「ここに行くといいのでは?」と思ったら、提案して連れて行くこともありました。夜は22時くらいまで、ずっと一緒にいましたね。
くりもと:短い時間ですが、学生たちとはどのように打ち解けましたか?
國澤:商売上、学生と接することはあるので、戸惑いはありませんでした。僕は沈黙が苦手で、学生ノリは苦にならないタチなので、むしろ最初から距離感を縮めたいと思って接していました。といっても、ノープランですが(笑)。あまり考えず、ざっくばらんに付き合うようにしていました。
國澤:最初に学生たちと打ち解けられる、アイスブレイク*1の場があったのも大きかったですね。学生も僕も自分のニックネームを名札にして、すぐにニックネームで呼び合うようになりました。僕は「しんちゃん」と呼ばれていました(笑)。おかげで、早い段階で距離を縮められましたよ。
*1アイスブレイク……初対面の人同士が出会う場で、緊張をときほぐすための手法
くりもと:実際に接してみて、学生たちの印象はどうでしたか?
國澤:3回関わって、学生を見る目は明らかに変わりましたね。そもそも、応募段階で意識の高い“おかしいやつら”が集まっているんですよ。だって、交通費・食費は自腹で、わざわざ徹夜しに来るんですよ? 仕上がりが良すぎるというか、自分の学生時代と比べてとてもしっかりしているのでびっくりしました。こども扱いはとてもできないし、「学生すごい」という感じですね。
立科町の他の人たちもそうですよ。それこそ、第1回目のプレゼンテーションの時は「お手並み拝見」という、どこか高を括った気持ちが町民側にはあったと思うんです。そんなアウェーな空気の中で、学生たちは堂々とプレゼンして、オチをつけて笑わせることまでやってのけました。僕にはこどもが2人いますけど、「どうやったらこんな子に育つんかな?」と、ひたすら感心していました。
くりもと:印象に残るエピソードはありますか?
國澤:まず、学生たちが議論しているのを見ていて、驚きました。特に役割を決めなくても、自然と役割分担ができていくんですよ。それに議論も言いっぱなしにしない。他の人の発言をちゃんと拾って活かして、話を進めて行くんです。僕にはとてもできそうにない、と感じました。
あと、高校生・大学生問わず明らかにすごいやつがいます。高校生のMくんは印象に残っていますね。あと、第2回目に高校生として参加していたTさん。他のメンバーに圧倒されている感じだったのが、翌年も参加してくれた時には、見違えるほどしっかりしていました。「(初回が)刺激になりました」と本人は言っていて、1年越しで成長を間近に見られたのはうれしかったですね。 第2回目に担当したチームには驚かされましたよ。1日目の23時頃まで一緒にいて、提案内容も聞いていたんです。それが翌朝、内容がまったく変わっていて。僕が帰った23時以降にどういう展開があったのか分からないんですが、あまりの変わりぶりに僕は「変わったんや……」くらいしか言えませんでした(笑)。しかも、そのガラッと変えた案で大賞を獲ったんです。思わず涙が出ましたね。いや、泣くのは毎回なんですが……。
くりもと:学生たちと間近で接して、國澤さん自身の考え方、仕事などに影響はありましたか?
國澤:彼らがデジタルツールを使いこなしているのを見て、僕も学びたい! と思いました。「アンケートを取りたい」となったら、あっという間にスマートフォンでパパッと作ってSNSで拡散して回収してくるんですよ。「こんなことができるのか!」と驚きましたね。面白いのは、僕たちと学生たちの間もなんですが、大学生と高校生の間でもデジタルツールにギャップがあること。高校生は、PCはまったく使わずに、スマホだけで何でもやってしまうんです。
自分のマインドを変えるのはなかなか難しいですが、新しいツールを取り入れることはできます。ツールを使いこなすことで、できなかったことができるようになったり、ハードルが低くなったりと、できることはまだまだ増えると感じました。
くりもと:今後のタテシナソンへの期待や要望があれば、教えてください。
國澤:途中経過もふくめて、発信する仕組みがほしいですね。やりっぱなしにしない仕組みというか。
あとは、事業者側の本気ですね。学生たちは全力で提案を考えてくれますから、事業者側は本気で関わって受け止める必要があると感じています。あくまで事業の話であって、学生たちはタダで使える労働力ではないので、学生たちに寄りかかり過ぎないことも大事だと思いました。ガイド役は、今後もお声がかかって仕事と折り合いがつけばぜひやりたいですね。
くりもと:チームメンバーへのメッセージをお願いします
國澤:また遊びに来て、顔を見せてください。もう社会人になった子もいますね。LINEで今もつながっているので、中には「起業しました」と報告してくれた子もいます。 いろんな人、いろんな人生があります。何が幸せかは、自分が決めることです。タテシナソンに応募してきたような積極性を生かして、楽しい人生にしてほしい。何でもできるし、何度でもチャレンジしてほしい。幸せに成長してほしいし、みんながどんな人生を歩むのか楽しみにしています。
3回のタテシナソンで学生たちと接して、國澤さんは「この国はまだまだ大丈夫」と感じたそうです。
タテシナソンは時間がタイトということもあり、長時間一緒にいながらも、学生たちのオフの顔は見ていないということでした。それでも、親でもない、先生でもない、友だちでもない立場で、一番近いところで学生たちを見ていたガイドだからこそ、さまざまなことを濃密に感じ取っていたことがよく伝わってきました。
次回は、「関農園」としてりんご農家を営む関陽一さんにインタビューします。お楽しみに!
文:くりもと きょうこ