タテシナソンのリアル イベントディレクター編

インタビュアー くりもと きょうこ

総合出版社で編集者として14年間、青年誌・女性誌・男性週刊誌・児童書と脈絡のないキャリアを経たのち、信州に移住して雑食系フリーランス編集者・ライターに。こんなに楽しいならさっさと会社員を辞めればよかったと思う移住5年目。東信エリアの某村に暮らす。

影の立役者!? この人がいなければタテシナソンはなかった!

タテシナソンのリアル イベントディレクター・渡邉岳志さん編

さまざまな立場の「人」を通して、「タテシナソンとは一体どんなイベントなのか?」を明らかにしてきたインタビュー記事の第4弾は、すべては役場職員とタッグを組んだこの人からはじまった、タテシナソンのイベントディレクター・渡邉岳志さんにお話を聞きました。

渡邉さんはくりもとと同い年で、御年44歳。
人懐っこい笑顔に、アウトドアブランドのキャップとパンツ、そして野外イベントのパーカーといういでたちは、フットワークの軽さと楽しいことを常に求めている冒険心を体現しているように見受けられます。

役場の担当職員とともにタテシナソンが産声を上げた瞬間に立ち会い、ずっと伴走してきた渡邉さんは、“ザ・生みの親”。
往々にして近すぎてこどものことがよく分からなくなりがちなのが親という生き物ですが、果たして渡邉さんと愛するタテシナソンの関係はどうなのでしょうか?


「自分がやりたいのは中小企業の支援」と思い定め、長野県商工会連合会の職員に転職し、2017年(平成29年)に立科町の商工会に指導員として派遣されます。翌2018年(平成30年)2月には第1回タテシナソンを開催します。指導員を2年経験したのち、タテシナソンや立科町にじっくり関わりたいと県連合会の職員を辞し、現在は一般社団法人信州たてしな観光協会の企画室長を務めます。 これまでのキャリアを存分に活かし、独特の立ち位置でタテシナソンや立科町に深くコミットしているところです。

信州たてしな観光協会 企画室長 渡邉岳志さん

1976年(昭和51年)長野県中野市出身。
・広告業界で17年間勤務
 長野市の広告代理店で役員を務める
・長野県商工会連合会
・(一社)信州たてしな観光協会

くりもと:タテシナソンはどのような経緯で生まれたのですか?

渡邉:当時の立科町では、交流自治体である神奈川県相模原市の大学生を呼んで、りんご狩りやりんごジャム作りを体験する弾丸ツアーをやっていました。でも、参加者は少ないし、目的である交流人口の増加も達成できておらず、町としては行き詰まりを感じていて。

そこで、関係者で話し合いを持つことになり、そこに僕も呼ばれたんですね。2時間半の会議で、僕は最初の1時間は何も発言せずに、パソコンを開いて抱えていた案件の企画書をこっそり作っていました(笑)。立科町の小規模事業者の課題解決をやっていたんですが、多すぎる案件でパンク寸前、正直こんな会議に呼ばれて時間を取られるくらいなら企画書を1行でも多く書きたいよ! という心境だったんです。だから、担当職員の上前さんに「渡邉さんはどう思います?」と話を振られた時、「今、オレがやっている仕事を学生に手伝ってほしいくらいですよ!」と返したくらいで。

そこで上前さんにスイッチが入って、「だったら、学生の『アイデアソン』や『プレゼンバトル』にしたらどうだろう?」と言い出したんですね。残りの1時間は、上前さんと僕で怒涛のアイデア応酬合戦になりました。ふたりともキレッキレで、ゾーンに入ってましたね(笑)。

上前さんは過去にアイデアソンに参加したことがあって、出てくるアイデアは良くても実現可能性が低いのが気になっていました。だから、立科町の事業者に課題を出してもらってやるなら、リアルに解決できるものにしたいという思いがあったんですね。今思えば、あの会議こそがアイデアソンでしたね。

くりもと:タテシナソンの狙いは、今のお話からすると「中小企業の支援」にあると感じます。他に、渡邉さんの狙いや思いはありましたか?

渡邉:課題提供事業者や学生には申し訳ないんですが、自分が楽しくないと嫌だと思って、それを最優先にしていました。僕は、楽しいから持続すると思っているんです。他の人にも楽しんでもらわないと続かないです。 そのために、僕は「イベントディレクター」というかたちでタテシナソンに“居場所”を作りました。

くりもと:“居場所”ですか?

渡邉:はい。僕は、自分が活躍するための場は自分で作るべしと思っているんです。広告代理店時代に、アメリカ人のオーナーが「ネズミと鈴」の話を教えてくれました。毎晩ネコに食べられているネズミたちが、どうやったらネコに食べられないで済むか話し合います。そこで、コンサル・ネズミが出てきて「ネコの首に鈴をつければ、近づいてきた時に音で分かるから食べられないで済む」とプレゼンするんですね。「それはいいアイデアだ!」と盛り上がりますが、「誰がネコの首に鈴をつけるの?」となって振り出しに戻ります。オーナーは、「ネコの首に鈴をつけるところまでやるのが仕事だ」と教えてくれたんです。 アイデアを出すのは正直、誰でもできるんですよ。それを行動に移せる人とそうでない人の差が、とてつもなく大きいんです。僕はオーナーの話がとても印象に残って、自分で考えて自分でネコの首に鈴をつけていきたい、と思うようになりました。学生も同じです。自分で考えて自分で行動に移すことで、自分の居場所はできるんだということを知ってほしいなという思いがありました。

くりもと:確かにアイデアは出せても、それをブレイクダウン(細分化)して実際の工程に落とし込んで行動に移していくのは、大変だと感じる人が多いですね。

渡邉:アイデアは奇想天外なもの、途方もないものである必要はなくて、「自分ならここまでは動ける」というところから逆算して出すものでいいと思うんですよ。 それを実践してみせたのが、2019年のプロチームの提案でした。一晩で課題提供事業者のホームページを作ってきたんですよ。頼まれていないけれど、ホームページを作れる人がいて、アイデアがあるからかたちにしてきた。まさに「ネコの首に鈴をつける」ところまでやった仕事ですね。

くりもと:最初にタテシナソンを発案した時、今のような展開を想像していましたか?

渡邉:ぜんぜん物足りないです!

くりもと:内容が、ですか?

渡邉:いえ、回数がです。内容についての物足りなさは1ミリたりともありません! 回数をもっと増やしたいんです。年2回やりたいんですよ。

幸いなことに回を追うごとに応募者が増えていて、狭き門になっているんです。2019年の開催では半数の応募者を書類選考で落とすことになってしまいました。1回あたりの人数は、プレゼンの時間が長くなりすぎるのでこれ以上増やせません。だから、回数を増やしたいんですよね。

参加者は毎年変わりますが、運営側は同じ人がやっているので、すでにかなりの蓄積があります。運営はどんどん進化していますよ。

くりもと:今までのタテシナソンで、印象に残っているエピソードを教えてください。

渡邉:高校生の存在が印象的でしたね。数は少ないながら、毎年必ず応募者がいて、横浜など県外からわざわざ来た高校生がいました。大学生はいわゆる名門大学の学生もいるし、うんと大人に見えますから、高校生は臆してしまうんじゃないかと心配していたんですね。でも、まったく臆していなかったですね。

あとは、1回目の時に気づいたんですが、課題提供事業者だった「もうもう」さんの名前を、話し合いの場でみんな1億回くらい連呼していたんじゃないかと思います。この刷り込み効果と言いますか、おそらく彼ら・彼女らは一生もうもうさんを忘れないですよ。立科町のこともそうですよね。この刷り込みが先々、何かのきっかけで「立科町に行こう」となるかもしれないじゃないですか。この効果は、広告費をいくら払ってもなかなか得られないほどのものだったと思います。

くりもと:3回開催してみて、感じていることはありますか?

渡邉:先ほど応募者が年々増えているという話をしましたが、応募書類の段階でセレクションをかけているんですね。よくあるのが「○○のボランティアをしてきました」「△△でリーダーを務めました」という具合に“何をしてきたか”で占められている志望動機です。

僕たちはそこからさらに踏み込んで、“何をしたいか”を知りたいんですよ。「(☆☆をしてきたので)タテシナソンで※※をしたい、◇◇ができる」という部分です。

これは、就職活動も同じだと思うんですよね。何をしてきたかはあくまで過去の話で、手を挙げる時は相手に未来をイメージしてもらわなきゃならない。応募する時は、そんなことを考えてもらえるといいなぁと思っています。

くりもと:渡邉さんは、これからどんな風にタテシナソンに関わっていきたいと思っていますか?

渡邉:これからも、イベントディレクターを続けていきたいです。タテシナソンをお弁当にたとえるならば、上前さんがごはんを作ってくれて、僕はいろんなおかずを作って添えていく役割だと思っているんですね。こんな楽しいこと、他の人に渡したくないですよ。

でも、タテシナソンを経験した学生の中から、「自分にやらせてください!」と名乗りを上げる人が出てきてほしいという思いもあります。そこはやっぱり、次の世代のことを考えたいので。マインドセットは常に若く持っていたいんですよね。

もし、イベントディレクターを奪われたらですか? 通信制の大学に入学して、学生としてタテシナソンに参加します!(笑)


広告代理店時代の渡邉さんは、昇進するごとに求められる成果も大きくなり、仕事で相対するクライアントの規模も大きくなっていったそうです。心血を注いでいた中小企業の案件も手放さなければならず、また成果達成のために仕事に線引きをしなければならないことも辛かったのだとか。

そして、大きな成果を手にするよりも、売り上げを伸ばした街のラーメン店の店主に「一生タダにするよ!」と喜んでもらうほうが自分は嬉しい、と気づいたそうです。

(実際に、渡邉さんに恩義を感じて「一生タダでOK」と言ってくれたラーメン店は2軒あるそうです。「嬉しいけど、かえって行きづらいんです……」というのはまた別の話)

人によって幸せのかたちはさまざまで、渡邉さんにとっての幸せは、立科町とタテシナソンをコアにしつつ、中小企業を応援する仕事にあるようです。

イベントディレクターという“居場所”を自ら作り「楽しいから誰にも渡したくない」と言いつつも、タテシナソンを経験した若手に奪われる日をどこか心待ちにしている渡邉さん。

そして、奪われたら今度は自分が大学生になってタテシナソンに関わると言うではないですか!

これはもう、「愛」以外の何物でもありません。

ああ、やってくる学生たちがそれぞれの持てる力をのびのびと発揮し、学生たちを受け入れ見つめる大人たちのまなざしが温かくてリスペクトに満ちているのは、タテシナソンの生みの親たちが愛の人だからか――くりもと、得心が行きました。

タテシナソンの秘密を玉ねぎの薄皮をはぐように解き明かしてきましたが、核となっているのはどうやら「愛」のよう。

この愛を養分にますます進化していくタテシナソンの姿が、きれいに晴れ渡った女神湖の向こうに見えた気がしました。

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